テレビ・ドキュメンタリー部門グランプリ

2020年代

番組名、放送局 説明
2022 「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~(BS1スペシャル)」

(NHK)

 放送日:2022年4月23日午後7時

 長さ:2時間30分
 ※「逮捕」「死刑」「検証」の3部構成。

【配信:アマゾン
福岡県飯塚市で1992年に女児2人が誘拐、殺害された飯塚事件発生から30年。刑を執行された元死刑囚の妻が裁判のやり直しを求めるという異例の展開をたどった事件を巡るドキュメンタリー。

当時のDNA型鑑定への疑義や、有力な目撃情報が黙殺された事実を提起する。遺族や捜査にかかわった当事者やDNA鑑定の専門家への取材などを丹念に積み重ね、多角的に事件を検証している。日本の司法のあり方をあぶり出すと同時に、マスコミ報道についても問題点を浮き彫りにした。
2021 たゆたえども沈しずまず

(テレビ岩手)

 動画(予告編)→
ドキュメンタリー映画。東日本大震災の発生から10年の歩みを丹念に追った。テレビ岩手が企画・制作した。記録してきた計1850時間の映像から、被災地で生きる人々の思いと街の変化を取り上げた。当時メッセージを寄せてくれた被災者を再び訪ねる場面もある。

監督は、遠藤隆・テレビ岩手シニア報道主幹兼コンテンツ戦略室長(当時64歳)が務めた。遠藤監督は震災当時、テレビ岩手で報道部長を務めていた。津波の映像を連日放送していたところ、視聴者から「見たくない」という声が多数寄せられたため、津波の映像を控えるようになった。

やむを得ないと思う反面、不特定多数の人が目にするテレビの限界も感じたという。それに対し、映画は見たい人がお金を払って見に来るものであり、「こうした人たちに津波の映像をしっかり伝え、減災に役立ててもらえないか、という思いが映画作りの出発点になった」という。
2020 芸術の価値 舞踊家・金森穣(かなもり・じょう)16年の闘い(BSNスペシャル)

(新潟放送)

 関連動画→
金森穣(かなもり・じょう)は1974年11月22日、横浜市生まれ。幼児番組「ピンポンパン」の体操のお兄さんも務めたダンサーの父・勢さんの手ほどきを幼少期から受け、17歳で渡欧。世界的な振付家であるモーリス・ベジャールらに師事した。 欧州の舞踊団で10年間、舞踊家、演出振付家として活躍した。 その後、2004年、ダンスカンパニー「Noism」(ノイズム)を立ち上げた。 以来、新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ(新潟市中央区)の専属として活動した。 2007年度、文化庁芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

Noism(ノイズム)は2004年、日本初の公共ホール専属ダンスカンパニーとして発足。新潟市芸術文化振興財団から給与の出るプロ集団「ノイズム1」と、無給の研修生集団「ノイズム2」で構成。

テレビ・ドキュメンタリー部門グランプリ

2010年代

番組名、放送局 説明
2019 ボルトとダシャ~マンホールチルドレン20年の軌跡~(BS1スペシャル)

(NHK)

 動画(予告編)→
モンゴルの首都、ウランバートルで貧困によって、マンホールで暮らしていた2人の少年を、20年間にわたって追ったドキュメンタリー。

なお、本番組は、BSやCSの有料チャンネルで2018年度に放送された番組から選ぶ「第9回衛星放送協会オリジナル番組アワード」のグランプリにも選ばれた。
2018 ETV特集 静かで、にぎやかな世界 手話で生きる子どもたち

(NHK)

 動画→
2017年の夏に大型チャリティー番組の裏で同時間帯に、障害者は感動を与える役割を担わされていると放送して話題となった「バリバラ」(Eテレ)。2018年はまた同じ裏で(8月26日夜7時)、障害者はテレビを楽しめないというテーマを掲げた。特にろう者は字幕放送があっても理解が難しく、理解しやすい手話を放送する番組はNHKでも1日の放送中、30分ほどしかないことを伝えた。

 これってろう者や手話の世界への無関心が原因なのでは?と思う。9月1日に再放送された「静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち」(Eテレ・本放送は5月)や、「ろうを生きる難聴を生きる」(Eテレ・土曜夜8時45分)のような番組を、もっと多くの人に見て欲しい。

 前者は東京都品川区にある、手話で学ぶろう学校の生徒を追う。手話は日本語とは違う言語で、生き生きとした豊かな表現をすると知り、がぜん興味が湧く。後者の9月7日の再放送では、日本で初めてバス運転士になったろうの男性を紹介。彼の会社では社員が手話を学び始め、ろうの彼と理解し合おうと努力する。こんな会社のバスに乗りたい!

 今は、多様性の時代という。違いを受け入れ、共に生きることが肝要だ。手話を流すTV番組が増えることは、その大切な一歩じゃないか?
2017 メ~テレドキュメント『防衛フェリー ~民間船と戦争~』

(名古屋テレビ)
戦前の民間船徴用について取材した。「日本の周辺が戦争状態になったとき、どんなことが起きるのか。過去の例から学ぶことができる」という考えからだ。

メ~テレは近年、自衛隊をテーマにしたドキュメンタリーを継続的に制作している。「変わる自衛隊 地方から伝えた一連の報道」は今年、国内で最も権威ある賞とされるギャラクシー賞の報道活動部門の大賞に選ばれた。

 自衛隊を継続的に取材するようになったのは、2014年に集団的自衛権の行使容認が閣議決定されてから。「自衛隊はどうなってしまうのか」という社内の議論がきっかけだったという。

 報道局ニュース情報センターの村瀬史憲(ふみのり)プロデューサーは「この4年だけでも自衛隊の中の空気が違う」と話す。実戦をある種、覚悟したような空気を感じるという。一方で「4年だけではまだ見えない。会話、装備などに米軍がちらつく場面が増えてきた。僕らが見えないところで大きく変わっているはずだ」と指摘する。

 社会の関心の高まりを感じるという。視聴者からの反応も普段以上にある。さらに受賞が続いたことで、「やらなければならない、という励みになる」と村瀬さんは話す。

 これからも自衛隊の取材は続ける方針だ。村瀬さんは「自衛隊は全国にあるが、意外と定点観測しているテレビ局は少ない。いろんな局が取材していい。そうすれば、もっと何か見えてくるのでは」と話す。

名古屋は、テレビ局のドキュメンタリー制作が盛んな土地柄だ。各局が受賞を重ねるだけでなく、映画がヒットしたり、コンテンツ配信に力を入れたりと、テレビ放送の枠を超えた動きも見られる。
2016 人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり

(東海テレビ)

 映画の予告編→

 動画→
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンで、自然に囲まれた暮らしを送る老夫婦を取り上げたドキュメンタリー。90歳になる建築家とその妻が主人公だ。かつて自らが計画を手がけた高蔵寺ニュータウンに一軒家を設け、70種類の野菜と50種類の果実を育て、自然と共生する日常を丹念に追った。俳優の樹木希林さんがナレーションを務め、2017年1月には映画としても公開された。全国各地のミニシアターなどで上映が続く話題作となった。

例えば、三重県尾鷲市では、2018年1月31日と2月1日にカフェで上映された。少子高齢化が進む尾鷲市で、映画を通じて自然の中で暮らす豊かさを考えてもらおうと企画された。上映会を開いたのは尾鷲市宮ノ上町の「カフェスケール」。店長の浜野恭行さん(38)は2017年5月から月1回、ドキュメンタリーを中心とした映画の上映会を続けている。

 人生フルーツを今年1回目の上映会に選んだのは、話題作というだけでなく、地方の暮らし方を問う作品だからだ。「店で移住者と交流を持つと、尾鷲には自然を求めて暮らしや生き方を考える人が多いと感じる。人生フルーツは老後の生き方がテーマとなっているので選んだ面もある」と話す。

 尾鷲市で、ドキュメンタリー映画の上映は貴重な機会だ。昨年末からツイッターやフェイスブックで告知したところ、「今までと比較にならない反響があった」(浜野さん)。申し込みは高齢者だけでなく、30、40代からも多いという。

 人口1万8千人の尾鷲市は65歳以上の高齢化率が42%(2017年12月末現在)。浜野さんは、観賞した人が映画を通じて意見交換することも期待する。「映画の予告編やポスターを見ると、老夫婦が自然の中で朗らかに暮らしていると感じる。地方でこそ上映するべき映画ではないでしょうか」

 上映開始時間は1月31日、2月1日ともに、午前10時、午後3時、午後7時の各3回。定員は毎回25人で、料金はワンドリンク付きで千円。申し込みはカフェスケール(水木定休)へ。(2018年1月21日)
2015 ETV特集 薬禍の歳月~サリドマイド事件50年~

(NHK)
2014 君が僕の息子について教えてくれたこと

(NHK)
2013 みんなの学校

(関西テレビ)

 映画の予告編→
日本映画の興行収入が2016年、今世紀最高になるなか、ドキュメンタリー映画に新たな動きが出ている。地方テレビ局がつくったドキュメンタリーが映画化され、相次いで劇場公開されているのだ。公開後、市民の手による自主上映会も盛んに行われている。テレビと映画の枠を超えるドキュメンタリーの可能性が地方発で広がっている。

 1月最後の日曜日、東京のミニシアター「ポレポレ東中野」は、ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」を見ようとする人々で、朝から立ち見席にも入れないほどの満員となった。公開から1カ月間、平日も夕方までは満席が続く反響の大きさに、同館は3月まで上映延期を決めた。現在上映中の映画館も含め、これから上映予定の映画館は全国で30以上にのぼる。  製作は東海テレビ。愛知県の高蔵寺ニュータウンを設計した90歳の建築家津端修一さんと87歳の妻の英子さんの暮らしを追い、本当の豊かさとは何かを考えさせる作品だ。昨春放送したテレビ番組が日本放送文化大賞グランプリを受賞した後、映画として再構成され、劇場公開の運びとなった。  東海テレビが手がける劇場用ドキュメンタリーは2011年公開の「平成ジレンマ」を第1弾にこれで10作目。  同テレビのプロデューサーで映画化を牽引(けんいん)してきた阿武野(あぶの)勝彦さん(58)は「民放のドキュメンタリー番組の放送が深夜や早朝枠に追いやられ、再放送もされないジリ貧状態から脱出するには、もっと面白いものをつくって、見る人を増やすしかないと考えた」と語る。テレビ局の組織力をいかし、広く見てもらうため映画化を着想した。「テレビはテレビ、映画は映画でやっていればいいという考えがドキュメンタリーをやせ細らせてきた」という自己反省があったという。

 ■質的にも高評価

 東海テレビの動きに続き、10社を超える地方のテレビ局がドキュメンタリーの映画化に参入、テレビから劇場公開へという流れが起きている。

 そのうち14作品を配給・宣伝する配給会社「東風(とうふう)」代表の木下繁貴さんは地方局発ドキュメンタリーの特徴を「わかりやすいというテレビ番組の特性を維持しつつ、長年にわたる密着取材の蓄積も生かしている」と指摘する。ナレーションが多いなどテレビ的な作風のものもあるが、映画として評価される作品が相次いでいる。

 ヘリパッド建設に反対する沖縄・高江の住民を追う琉球朝日放送「標的の村」は、13年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で日本映画監督協会賞と市民賞を受賞。ある老夫婦の生活を25年間記録した山口放送「ふたりの桃源郷」は文化庁映画賞の文化記録映画優秀賞を受賞。後者は16年のキネマ旬報文化映画ベスト・テン1位で、3位と5位も地方局発ドキュメンタリーだった。

 1万人入ればヒットといわれるドキュメンタリー映画で観客動員にも変化が。暴力団の内部を追った東海テレビの「ヤクザと憲法」は、4カ月のロングラン公開で延べ4万人が見た。

 ■上映場に広がり

 映画館での公開に加え、市民が映像を配給会社から借り、学校や公民館、カフェなどで自主上映会を行う動きも広がっている。関西テレビの「みんなの学校」は、自主上映会が1千カ所以上で開かれ、15万人以上が見た。「標的の村」も約700カ所で開催。テレビ新潟の「夢は牛のお医者さん」も約約300カ所、約7万人が見た。

 「ふたりの桃源郷」などを配給・宣伝する「ウッキー・プロダクション」の猿田ゆうさんは「ドキュメンタリーを上映するミニシアターが地方にも広がり、自主上映に協力する配給会社が出てきた点も大きい」と説明する。

 東京の「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」(12日まで)のように、「テレビ、映画の枠を越えて、ドキュメンタリーの魅力と可能性を再発見する」と掲げる映画祭もある。

 テレビ界でも、映画化を評価する動きが出てきた。南海放送の「放射線を浴びたX年後」はギャラクシー賞報道活動部門の大賞を、「夢は牛のお医者さん」は同部門の奨励賞を受賞している。

 この年末年始、東海テレビのドキュメンタリー映画がBSの日本映画専門チャンネルで特集放送されるなど、映画館からテレビへ、という流れも出ている。インターネットの普及などでテレビ離れが進む中、ドキュメンタリーは地方局の存在をアピールする表現空間となりつつある。
2012 NHKスペシャル『メルトダウン 連鎖の真相』

(NHK)

 動画→
2012年7月21日に放送された。

ラジオの時代以来、NHKは先行した新聞などの活字メディアに追いつけ追い越せと研さんを積んできた。「でも、各セクションが力を合わせてひとつのテーマを掘り下げる風土はなく、タコツボに陥っていた」

 報道、芸能、教育の3部門がばらばらに番組を作っていた1970年代前半までの制作体質を振り返る。縦割り的な組織に風穴を開けるべく誕生したのが、1976年4月に始まった「NHK特集」だ。当時の堀四志男(よしお)放送総局長の発案によるもので、複雑化する社会で、より幅広い取材や独自の調査報道を行うために、作り手の意識改革が必要だった。

 教養番組を担当していた当時のことで、「新しいやり方に戸惑ったが、徐々に他部署のスタッフとも交流が生まれた。看板番組に携わるのが名誉に思えてきて、必死に取り組むようになった」。以来、プロデューサーとして「21世紀は警告する」「ルーブル美術館」など力作を次々と放った。

 「NHK特集」は1989年3月までに1378本が放送され、国際エミー賞エミー賞、芸術祭賞など名だたる賞を多数受賞。名実共にNHKの代名詞となった。

 だが、識者の間からはこんな声も漏れていた。「テレビは言論機関でもジャーナリズムでもない。良質で硬派と言われる『NHK特集』でさえ、エネルギー問題など国家的な課題を正面から扱わないからだ」--。

 「だったら原点に帰ってそれらも扱おう」と、北山章之助スペシャル番組部長(当時)は、番組終了を決意。1989年4月、「NHKスペシャル」として再出発した。

 北山氏は1937年生まれ、熊本県出身。1960年、NHK入局。山口放送局を経てディレクターとなり、1983年からスペシャル番組部プロデューサー。「大黄河」など「NHK特集」を数多く制作した。

「公共放送としてやらねばならないテーマを随時扱う。必要な時は大河ドラマを飛ばしてでも編成すべきだ」と局内を説得。 やり玉に挙がったエネルギー問題の取材では、局内外から圧力があった。自らの進退まで賭け、「いま原子力を問う」として89年4月に3夜連続で放送。翌週には推進派と反対派による討論まで行った。

 「東日本大震災後に本数が増えたことでもNスペの存在意義が分かる。『メルトダウン』シリーズなど、この番組でしかできないテーマもある。それをやらなくなったらどうなる? 民放が放送するだろうか」

 放送開始から四半世紀。体験者の言葉で戦争を振り返る「証言記録」や、ドキュメンタリードラマ形式の「未解決事件」シリーズなど、Nスペの表現方式も多彩に変化した。「演出は変わっても、国民に考える素材を提供するという本質は変わらない。そのDNAは受け継がれている」。現場には自由闊達(かったつ)な提案を、幹部にはそれを正しく実現させる度量を。その両者を求めている。

 ◆タイムリーに力作、受賞多数

 「NHK特集」第1作は、1976年4月15日に放送された「氷雪の春」。オホーツク海沿岸の自然を空撮などで迫力満点に描いた。新鮮な切り口と挑戦的な表現・技術が「N特」の基本精神となり、従来のフィルムでなくVTRで構成した「永平寺」(77年)は、放送番組の国際コンクール・イタリア賞でドキュメンタリー部門の大賞を受賞した。

 スクープ性の高い作品も多く、安宅産業の経営危機を扱った「ある総合商社の挫折」(1977年)は新聞協会賞を受賞した。安宅産業は、東証にを上場する大企業だった。 しかし、倒産の危機に陥り、伊藤忠に救済合併された。

他方、プロ野球をテーマにした「クイズ 巨人・阪神」(1976年)や「山口百恵・激写・篠山紀信」(1979年)など異色作も生まれた。

 1978年から週2本、1984年から週3本に増枠し、「21世紀は警告する」など大型シリーズのほか報道、自然、文化など多彩に編成。ビデオリサーチによる関東地区の最高視聴率は、日本初の五つ子の記録を集大成した「一年生になりました」(1982年)の29・1%。

 少数の演出家がじっくり時間をかけて作った「N特」に対し、「Nスペ」では、初回の「リクルート事件の衝撃」(1989年)のように取材チームが短期間で集中的に制作する手法を取った。

 2012年度末までに2487本を放送。「驚異の小宇宙・人体」や「社会主義の20世紀」、「大英博物館」などの大型シリーズはもちろん、米同時テロやワーキングプアなどの時事問題、戦争回顧ものでもタイムリーに力作を放ち、各賞を受賞している。東日本大震災関連の番組は、約90本に上る。
2011 ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~』

(NHK)
2010 NHKスペシャル『密使 若泉敬 沖縄返還の代償』

(NHK)

2000年代

番組名、放送局 説明
2009 該当なし

2008 ヒューマンドキュメンタリーいのちの記憶~小林多喜二 二十九年の人生~

(北海道放送)
時の権力により、29年で断ち切られた小林多喜二の人生。受賞作は、家族や友人、女性ら周囲の人々を丁寧に描くことで、弱者に優しい目を持ち続けた一人の誠実な青年の姿を浮き彫りにした。 プロデューサーの松田耕二さんは「組織や思想のために殉じた闘士として神格化するのでなく、人間・多喜二の姿に迫りたかった」と制作意図を語った。テレビの原点に立ち返り、「映像を信じ、映像で表現する」ことにも心を砕いた。 吹き荒れる風と雪、氷点下の光のきらめき-。印象的な映像が多喜二をはぐくんだ北の風土を雄弁に物語る。
2007 該当なし

2006 NHKスペシャル『日中戦争 なぜ戦争は拡大したのか』

(NHK、株式会社NHKエデュケーショナル)
2005 戦後60年特別企画『ヒロシマ』あの時原爆投下は止められた・・・いま明らかになる悲劇の真実

(東京放送)
2004 該当なし

2003 該当なし

2002 坑美人 ~闇を灯す女たち~

(毎日放送)
2001 該当なし

2000 未来への記憶~巨大ダムは何を残したか~

(北日本放送)